

たくさんのブログの中から僕のブログを見てくれて本当にありがとうございます!!
僕は30代至って普通の男で、むしろスペックは低めです。笑
ざっと簡単にいうと、、、
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- 英語話せない
- フィンランド語話せない(勉強中)
- 収入月7万円程度w(追記:現在13万ぐらいまで上がりました!w)
- (収入は移住2年目にして職をゲットしました!2019・2月)
- 身長173 体重75キロ
- 32歳、貯金残高200円(2017年)→順調に増えております笑
- 移住後無職(2017)→ ゲット!(2019年2月)
日本語以外の言語を話せない状態で、2017年1月に北欧の国フィンランドに移住。もちろん移住の理由は国際結婚をしたので、一緒に暮らすために移住しました。

アプリで、ブラットピットと顔を入れ替えてました笑
移住の理由はフィンランド人女性との国際結婚。現在フィンランド首都ヘルシンキで、フィンランド人の妻と二人で暮らしをしています。
このブログはフィンランド(特にヘルシンキに特化した)情報をメインに、二人の日常や僕の趣味を織り交ぜながら、リアルフィンランドをアップしていきます。

目次
職歴・バイト歴
【名前】 ータプサ
【誕生日】ー1986年夏生誕
【性格】 ーめっちゃ飽き性
【職歴】
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- モデラー(モデルでは無いですw)
- ウエディングプランナー業2社経験(男性では珍しかったです。超ハードワーク。。)
- 建築メーカーセールス(色んな出会いがありました!)
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【アルバイト経験】
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- 工務店手伝い(家をぶっ潰すの楽しすぎたw)
- ガードマン(とても暇でした)
- スーパーのレジ(札を数えるのが上手くなりましたw)
- 漁港で魚を殺すバイトw(魚の返り血を浴びて帰宅していましたw)
- ヨドバシカメラのイベントリーダー(キャンペーンガールの可愛いこと一緒に働くのは最高でしたw)
- 水のセールス(テンション維持が大変な仕事)
- ゲームセンター(ヤンキー排除係でした、、、)
- フィンランドにて日本人モデル(VIP待遇で最高でした)
- etc..
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【趣味】
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- アイスホッケー、
- インラインホッケー、
- 映画、音楽、ものづくり。
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【2018年の目標】
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- プロブロガーを目指します → 達成
- ブログを見てくれた方との交流 → 達成
- 趣味のアクセサリー作り → 未
- アクセサリーのウエブショップをオープン → 忘れてた笑
- フィンランドで仕事を見つける → 達成
- フィンランドで中古で家を買い、自分達でリノベーション!!(これは当分先になりそう。。) → 未
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こうして見てみると結構達成できています!行動した分だけ帰ってきた気がしますね!
【2019年の目標】
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- ブログを成長させる
- ブログを見てくれた方ともっと交流
- 転職
- 起業(副業が可能なので働きつつ起業したいです)
- フィンランドで中古で家を買い、自分達でリノベーション。(恐らく来年頭かな?)
- ジムの継続 目指せ体重78キロ
- アイスホッケーのチームでリーグ優勝
- フィン語でもっと話せるようになる スオメンメスタリ3くらいの勢い。
- イベントのオーガナイズ
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さあ、目標書いた時点で既に5月中頃!笑
達成なるか?!
幼少期

幼い頃の自分は、とても元気で活発だったと思います。
いつも母親がヘアカットしてくれるので、髪型はご覧の通り(絶妙な曲線描)
言わずと知れたキノコヘア。
きのこヘアー、
マッシュルームヘアー、
色んな呼び名があります笑。
この時代、この髪型めっちゃ流行ってませんでしたか?笑。
このとき僕はものっすごく泣き虫でした。6歳下の弟がいるのですが、赤ちゃんの弟が泣くと僕も泣いていましたw。幼い時の記憶って、変にめっちゃ詳細覚えていたりしますよね?僕はかなり覚えている方です。泣いた記憶と、寝ゲロの記憶がほとんどですけどね笑。よく小さい時、寝ゲロしたな〜。。
幼いながらに『俺、他の人よりゲボ吐きすぎやんっ!ダサいやん』
と思って、我慢するようにした記憶があります笑。
最初からしろよw
父と母
僕は1986年に生まれました。父と母はどう思っているかわかりませんが、僕は普通の家庭よりは両親になんでも打ち明けるし、色んな話しをしていると思います。
幼い頃から色んなスポーツをして、最終的にはホッケーをしていました。

ホッケーは学校終わりに特定の場所に行かなければできなかったので、車の免許を取るまで親に頼るしかありませんでした。だから自然と会話が増えて親とは中がいい方だったんだと思います。

母は、幼い時から自分に沢山、愛情を注いでくれていると実感できます。結構頑固者の母で、正義感は強く、とても真面目な母親です。
それが故、融通が聞かなくて喧嘩する事は多々あります。(今でも)多分、目の前でこんな事を言うとまた怒られるのですが、少し天然ですww。
大学くらいまでは毎日ご飯を作ってくれて、今だからこそ感じますが、毎日あれだけの献立を考えるのって本当に大変ですよね。
オカン『あんた、今日何食べたいん?』
僕 『え〜なんでもえぇわぁ〜』
オカン『なんでもええわってなんやあんた!!』
僕 『なんやねん!』
みたいな会話w。一言、カレーが食べたいとか、鳥が食べたいとか言えたらオカンの負担は減ったのだろうな〜と最近思います。笑
一方父親はと言いますと、もちろん仕事はちゃんと自営でやっていますし、きっちりはしています。ですが母親とは逆で、適当すぎというか、適当です笑。それが故、口がうまかったし、相手を説得させたり、交渉する術は長けていました笑。
人当たりも良く、いじられキャラですが、今になって思うと、彼ほど子供との時間を費やしている父親は見た事がありません。
父親は多趣味で、プラモデル、映画、音楽、一通り知っていました。小さい時からキャンプに連れて行ってくれたり、クソおもしろく無い釣りに行ったり、(おとんは釣りが多分下手w)色々経験させてくれました。


で、親父の影響か、僕も作る時はこだわる様になりました。笑
没頭出来るもの
小学生一年生の時にサッカーをしていました。1年ぐらいですが、あまり記憶に無いくらい面白くなかったのを覚えています。多分、あんなに広いフィールドで、ボールを触る機会が少なかったからだと思います。
朝目覚めると、父親がボールを買ってくれていた事と、父と休みの日に個人練習をしたことくらいです。
そのあと始めたのが野球でした。近所に住む『けんちゃん』が、一緒に野球しようと誘ってきたのがきっかけでした。
野球よりも、けんちゃんがオモロすぎて僕は一緒に野球すると決めました。
けんちゃんは、めちゃくちゃアホで、お願いしたらなんでもノリノリでやってくれましたww。
僕『けんちゃん!犬のう◯こ触って見てよ!』
けんちゃん『うん!いいで!』

みたいなww。
低レベルすぎるww
今では彼は商社で働いており、とても賢いやつです。
野球は練習が楽しいし、コーチや監督もいい人たちで、僕も可愛がってもらえていたのを覚えています。ポジションはセンターで、練習ではいつも軽快にボールをさばいていました。多分、運動神経は普通よりは良かったと思います。ですが、、
いざ本番の試合。
二万円ぐらいのグローブと、
試合前に買ってもろたバット片手にワクワクしながら当日を迎えました。
くっっそヒマ。
マジでヒマでした。
試合マジおもん無いわーって思ってました。
少年野球でセンターまで打って飛ばしてくるやつあまりいないんですよ。しかも野球って無駄に声とか出しますやん?だんだん試合中に目的が変わってくるんですよね〜。ようは飽きてくるんですよ笑。で、飽き出して、集中力切れた頃にたまにボールが飛んできて、気づかなくてめっちゃ怒られるんですよね〜笑。
一方、けんちゃんは。。。
めっちゃ最後まで声出すやん。
って感じで、だんだん温度差が出てきました。笑
そんな時期、家の前で当時流行っていたローラーブレードをしていました。団地に住んでいましたので、みんなで買って団地内を爆走していました。すごいもので、みんな子供達は上達が早い早い。
ローラー面白〜!!っと思っていた矢先。
おじさん『君たちいいかね?』

一人のおじさんが話しかけてきて、子供達でチームを作ろうという話になりました。そこからです。ただローラーブレードをするのではなく、スティックを持ってプレイする、ローラーホッケーというものに出会いました。
僕が人生で没頭できたものの一つでした。
青年期
青年期を二十歳までとします。毎日が学校とホッケーの往復でした。
そしてホッケーをやるためにはバイトをしなくてはならない。ですが今思うと、比もっとバイトを減らして、遊びを増やせば良かったかな〜と終えてみてから思います。
ホッケーは無条件で、学校を休もうが、熱があろうが行っていましたが、友達からの旅行の誘いや、日帰り旅行の誘いなどを、バイトが理由で断ることがありました。
今思えば本当にもったい無いです。
高々数万円をケチって一生の思い出となる行事に参加しないなんて、お前はバカか!と当時の自分に言ってやりたいです。
高校まさかの合格
先ほどから僕のプロフィールには勉強という文字が見当たりませんww。本当に勉強がイヤでイヤで、仕方なかったです。小学生の時、夏休みは無理やり4時間机に向かわなければならない掟ができました。
子供がまだいないですし、偉そうなことは言えませんが、あれは本当にダメですねww。自分でも信じられないくらい勉強したっぽく見せる事や、暇の潰し方、ズルの仕方、そんな事ばっかり上手くなります笑。
結果、勉強での成功がないので、努力を知らずに高校受験を迎えます。
教師からはまあ無理だろうな〜とか言われてましたし、僕もどうしよかな〜、男子校だけはイヤやな〜とかは考えていました笑。
ですがここで国の制度が僕を救済してくれました笑。
当時の高校入試の制度なのですが、体育、技術、家庭科、美術などのサブ教科と言われる項目の内申点、つまり、当日の入学試験関係なしの最終的な通知簿の成績が、高校に渡される時に何倍かされて、志望校に提出されます。
数学、国語、英語、理科、社会、、本当に通知簿の点数は赤点でした、、ですが先ほど述べたサブ教科はすべてMAXの成績でした。
この大逆転により、なんとか僕は志望校にいく事ができました。
いやほんまただのラッキー。ww
AO入試まさかの大学合格
高校でもえげつないくらい勉強ができなかった僕ですが、ついに大学試験を迎えます。
ですが、
高校入試の時の反省を全く活かせていませんでした笑。
勉強はしたくないけど、物を作ったり、絵を書いたりするのは好きだし、没頭できる。そんな僕の性格を見抜いてか、急に父親がデザイン系の大学のパンフレットを持って帰ってきました。
あ、これや思いました。笑
ですぐ目に飛び込んできたのがAO入試と言う文字。どうやらこの入試制度はテストが無い代わりに、大学の教授と面接して、自分を売り込むスタイルの入試制度でした。
この大学も普通に受験したら、僕の脳みそ君では、受かるレベルではありませんでした。(脳みそのせいw)
『俺のための制度やんけ、、、』とか思い込んだ僕はすぐさま応募。
面接で自分を表現するために、一応、前日にデッサンを仕上げて持って行きました笑。面接の後にはグループワークがあって、制限時間内に「ガラクタでおもちゃを作る」と言う課題でした。
またしても制度に救われました。
僕の一部とも言えるホッケー
幼少期時代にも書きましたが、僕は幼い時にホッケーに出会いました。もちろん自分自身の人間力や、チームプレーなので、協調性を養えましたし、自信や度胸を強くすることができました。

熱出たら、ホッケーして気を紛らわす、友達よりホッケーを優先、土日も平日もホッケー、って感じでした。当時付き合っていた女の子に、『私とホッケーどっちが大事?』と、漫画みたいな質問された時に、すぐに別れました。それくらい当時はバカでした。
ローラーホッケー、アイスホッケーでの主な経歴はこんな感じです。
・高校1年:ローラーホッケー全国大会優勝
・高校2年:アイスホッケー高校選抜キャプテンを務める
・高校3年:日本代表アンダー20に選ばれる(韓国での大会で日本優勝)
・大学時代:国体出場
まあ書いてみると凄そうですが、何と言ってもマイナースポーツなのでサッカーや野球に比べると華は無くなりますw。
大学卒業〜現在
大学を卒業してからのことをサクッと言うと、僕は会社を4社経験して、4回引っ越しして、二回死にそうになって、一回婚約破棄して、フィンランド人と結婚してフィンランドにいます。笑。
まあまあパンチ効いているな〜と自分でも思います。
就職活動
大学を卒業が近づいてきて、周りは何十社もエントリーシートを出したりして就職活動をしていました。
僕は実はその時とても忙しくて、それどころではありませんでした。
ホッケーと、遊びで。www
全力ですよ。それらに関しては。けどやっぱり努力ができないんですよね。
いよいよやばいかな〜と思い、教授に相談したら、いきなりツテで1社紹介してくれて、面接に行きました。
ホッケーで遠征に行くたびに、教授へのお土産を欠かさなかった甲斐がありましたっw
翌日、電話が鳴って、『あ、君、昨日はきてくれてありがとう。いつからでもきていいよ』
かるっ!
ここからでした。
僕の苦労の人生は。。。
モデラー
『え?モデラー?』。。なんか聞こえがいいな。。笑
モデルでもなんでもありません。
デザイナーが自分の考えたデザインを、自分の会社などでプレゼンする為のモデルを製作しました。
携帯電話や、車の内装の一部、車のホイール、様々なプロダクト製品のモデル製作を取り扱っていて、2年後とかに発売されるデザインをいち早く知ることが出来るのが楽しかったですね。
モデルと言っても表面処理は本物よりも綺麗に仕上げます。
切削機でパーツを削り出して、サッンドペーパーや耐水ペーパーで表面を仕上げてから塗装。
そんなことを毎日していました。
正直楽しすぎる!毎日プラモデル作ってるやん!みたいな感覚でした。
ですが、給料は月手取り15万、一人暮らし+遊びに行きたい性格だったので、長続きしませんでした。
『いや、このまま死にたく無いです』
と先輩に打ち明けると、当時23歳くらいの僕に32歳くらいの先輩は言ってくれました。
『やっと気づいたか。早くやめたほうがいい。若いうちに』と。ww
いやガッツリブラックでした笑。
ブライダル業界
戻りたくは無いですがいい経験をしました。男性がいたのは珍しかったですが、結婚する人たちのお世話をさせて頂き、最後にありがとうの言葉がいただける素晴らしい仕事です。

自分たちのパーティーはすべて自分とブライダル時代の親友とも言える先輩に用意していただきました
『私たちは、お客様のありがとうのために頑張ります!!』
とかよく綺麗事みたいな文句あるじゃ無いですか?あれ、ほんまなんですよ笑。
結婚式当日、雨が降りまくっている中、スーツびしょびしょなって傘をさし続けて、主役をお見送り。。そして自分だけタクシーに乗れず、本気で走ってホテルまで付き添い荷物運び。。
仕事が辛すぎて辛すぎて、けどそれでもやり遂げて、お客様を見届けた時に、『ありがとう』っていう言葉だけで本当にやりがいがありました。
(なぜか僕は新郎新婦のお父さんとか、新郎とか、男性に気に入られる事が多かったw)
そんな一見辛そうだけど、華があるブライダル業界。この業界に憧れてくる若い方が非常に多いです。
ですが、、、地獄の様な日々でした。
火曜日以外、全て出勤で、金、土、日は朝7:00~夜中3:00までとかざらでした。
同僚の女の子たちも、毎朝、落ち武者の様な状態で出勤していました。笑。最初はちゃんとメイクしたらいいのに。。とか思ってましたけど、こんな働き方なら無理か、、と思い、見ているこっちまで落ち武者気分で1日をスタートしていました。
それで月の給料は手取りで16万円ぐらい。人の幸せの前に自分がダメになると思い、一旦同じ業界内で違う会社に行きましたが、同じでした。
建築業界への転職
建築業界の中でも僕は一部大手のメーカー勤務を勝ち取ることができました。得意のコネでです笑。
建築業界自体のイメージはあまりよく無いかもしれませんが、僕はそうは思いませんでした。
みんな気前が良くて、業界の方々は熱い方が多いです。営業だったこともあり、いろんな会社の社長とお会いする機会が多かったですが、みなさん魂がこもっている方々ばかりで、僕はこの業界ではとても仕事がしやすかったです。
職人さんとか、めっちゃ面白いですよ笑。

僕が大好きな職人のおじいさん
こんなこと言ったら勘違いされるかもしれませんが、良い意味でみんな最高のバカでした。
突っ込みどころ満載で、毎日飽きません。
建築業界は怖いとか体育会系のイメージは中々なくならないかもしれませんが、若者は重宝されますし、今では女性の雇用も少しづづ増えてきています。
フィンランド人妻との出会い
僕が英語もフィンランド後も話せない状態で、どのようにフィンランド人の今の妻と出会い結婚にまで至ったのか、、それを記事にしています。よかったら読んでください。エピソード1〜5くらいまで書いていくつもりです。
- 【エピソード1】英語もフィンランド語も話せない僕がどうやってフィンランド人妻と出会い、結婚に至ったか?
- 【エピソード2】英語もフィンランド語も話せない僕がどうやってフィンランド人妻と出会い、結婚に至ったか?
- 【エピソード3】近日公開予定
- 【エピソード4】近日公開予定
- 【エピソード5】近日公開予定

言語はもちろん、僕は英語できませんし、当時の嫁も日本語は全然でした。ですがお互い理解しようと意識していたから、一つの言語を伝えるのに時間がかかっても逆にパズルをしている感覚で楽しいなってなりました。
今では日本語で毎日怒られています。笑
フィンランド移住決意
嫁『ほんならまあ結婚しようか』

移住前に少しだけ住んでいた、弟が管理しているシェアハウスに住んでいました。
情けない話、この一言が決め手でしたww
僕たち日本人は形や形式に捕らわれすぎて、自分自身の行動を制限してしまっているかもしれませんね。
僕は、お金を貯めて、もうあと一年同棲してみて、、、もちろん結婚しようというのは全てが整ってからや!とか考えていました。
そういうケジメも大事かもしれませんが、時期を逃しちゃうともっとダメですもんね!
この時はもう付き合いだして2年ほど経っており、嫁もフィンランドに帰っており、遠距離恋愛をしていました。
ヒッチハイク・炭酸水の様な思いで

ヒッチハイクもやればやるほど上手くなります
- 二十歳の時だったでしょうか。僕は突然周りの人がやったことが無いことをやろうと思い立ちました。それがヒッチハイクでした。とりあえず目的地は神戸→鳥取でした。(短ww)(砂丘を見たいと思ったから)これは、一歩勇気を出してやってみた人全員が言っているのですが、『ヒッチハイクは最高』ということです。乗せてくれる時点でその方は親切です。親切な人はその後も親切です。なので、大体ジュースとか食べ物をくれます。乗せてくれるのはいろんな人がいてます。
印象に残ったのは超ワルそうなカップルでした。
軽自動車の黒のライフかワゴンRで、マフラーを改造して、運転席の前に白いふわふわのマットみたいなやつ敷いて、バックミラーはキラキラして、逆に後ろ見にくいやつで、後部座席にはなぜかデカイ、スティッチのぬいぐるみがあって、助手席の彼女さんは、キティーちゃんのスリッパ。彼氏さんはボウズで痩せ気味やけど、キレたら怖そうで、茶色の色つきのサングラスをかけている亀田さんみたいなタイプでした。
結果。
めっちゃええ人たちでした笑。
このカップル、これから役所に婚姻届けを出そうと持っていく最中だったようです。
すごい。こんなタイミングで乗せてもらえるなんて、なんかこちらもハッピーでした!!
僕『おめでとうございます!!』
亀、、彼氏さん『おう!』
彼女さんはめちゃおとなしくて、勇気出して話した一言が、
「家にコーラがあるから持ってきてあげようか?』って、、。夏だったので僕たちが暑いだろうと気を利かせて、わざわざ少し遠回りして二人が住んでるという小さなアパートに寄りました。
すると、亀田さん、、、あ、違う、その彼氏さんが、『じゃあ俺たち待っておくし、とってきてくれる?』というと、彼女さんは張り切ってうなずき、足早に出て行きました。するとすぐさま亀田はとんでもないことを口走りました。
カメ『俺結婚したないねん』
僕『・・・なんでです?』
カメ『わからん。。覚悟できとらんのや』
僕『ま〜じですかぁ〜うわぁ〜、、』
とか言ってたら、ニコニコした彼女さんが戻ってきました。もちろんその後その話題に触れることはできませんでした。
僕はとても後悔しています。二十歳とはいえ、藁をもすがる思いで、婚姻届を出す土壇場で僕に相談してくれたのかと思うと、
『ま〜じですかぁ〜うわぁ〜、、』
っていう返事は0点でした。笑
あの時に戻って言ってあげたい。
『覚悟しいや。』と笑。
マイナー競技の勧め
上にも書きましたが、ホッケーはマイナー競技です。これは本当に誰でも努力次第でどうにかなる世界だと感じました。そして努力したぶん上に上がれるスピードも早いので、モチベーションの維持も簡単です。
マイナースポーツは、バイトや会社の面接で、100%相手に印象を残すことができます。面接で、趣味は?とか聞かれたら、もうこちらの物です。会社関係なしに、相手に興味を持たれて、小難しい話をせずこちらの土俵で面接を完結できます笑。
女子に対しても同じです笑。
マイナースポーツは珍しがられますし、相手との会話も弾みます。
そしてもう一つ。
親の協力が必要だということ。
※美容師さんw
特にこれからお子さんをお持ちで、お子さんが何かやりたいと言い出した時、サッカーや野球だけでなく幅広い選択肢を与えてあげる方がいいと思います。
学校のクラブでは、学校ですべて遠征など完結できます。マイナースポーツのクラブとなると、クラブ自体が高校や中学にはあまりありません。となると、学校が終わってから親が学外のクラブチームなどに送り迎えをしたり、親が一緒に遠征に行ったりと、お子さんとの時間を増やせることができます。
最後に
最後まで読んでくださった方本当にありがとうございます。僕は今フィンランド語を勉強中で無職です。フィンランドの国から得られる支援金でなんとか生活しています。自分で地に足をつけて生活するためにも、語学の習得と、そのあとフィンランドで働く必要があります。
ですが!!!
普通に生活していては、国が変わったでけで面白くもなんともないです。
フィンランドのディープな情報や、現地のコアな情報をお届けできればなと考えています。
そんな事をしつつ、日本の方々との輪も広げれればいいな〜と考えています。
少しづつプロフィールも更新していきますので何卒よろしくお願いいたします。